村がダムに沈んで5年たった

これはオタクの妄想である。実際に村なんてないし、ダムに沈んだわけでもない。繰り返す、ただの妄想である。

村の話

およそ5年前、私の愛する村がダムに沈んだ。今でも村の入り口を示す看板は残っているが村に入ることはもうできない。村が創設されてからダムに沈むまでは1847日。

そして今日はダムに沈んだ村から機能を移転されてできた新しい町ができてからちょうど1847日目。
つまりこれからは町の歴史の方が村の歴史よりも長くなる。
そんなめでたい日だ。少し長くなるが私の愛した村の話をしようじゃないか。

私はかつて村に住んでいた。人口3万人ほどの村である。私が村にやってきたのは村が創設されてから約1年がたったころである。その頃は私と同じように外の世界から村に流入して来るものも多かった。
私はそれまで全然違う地方に住んでいたので村にあるすべてが真新しく映った。
まず目につくのが福引を回すときらきら光るカードが手に入ることだ。そのカードをそろえてデッキを組み、イベントと呼ばれる競技会に出ると順位がついた。上位1200位までに入賞するとまた新しいカードがもらえた。
競技会以外で目につくシステムとして、村ではバザーも盛んだった。カードを村の共通通貨であるドリンクと飴でやり取りするのが日常風景であった。強いカードや人気の絵柄のカードは瞬く間にバザーから消え去った。
ドリンクや飴、福引を回すためには村の外で仕事をする必要がある。仕事をしてきて村の入り口で村で使える形に運営に引き換えてもらうのだ。
あるものは村の外での仕事を頑張って手に入れた大量の原資で強いデッキを組み、競技会で有利になるアイテムを買いそろえて短時間で一気に上位まで駆け上る。また別のものはバザーに張り付いて安く手に入れたものを高く売りさばき、時間はかかるものの差額を用いて貯めた財産で競技会上位を狙う。
そこには十人十色の戦略があり、競技会の栄養補給アイテムとして使えるドリンクと飴のどちらを使うのかも人によってさまざまだった。ドリンクは安い分スタミナの回復が悪く、短期決戦には向かない。逆に飴は一気に何個でも食べられるのが人気で短期決戦に強いがその分値が張った。

村では競技会の順位がすべてである。上位100人に入るとカードが2枚もらえることが多かったのもあり、みんないかにして競技会で上位に入るかを考えていた。競技会にはテーマがあって、それぞれ優秀な成績を収めると前述のカード以外にも村に約50人ほどいる看板娘のうちの誰かから勝利の祝福をもらえる。勝利の祝福は特に何の役にも持たたないが、それでもみんなお気に入りの娘に祝福されたいがために大いに見栄を張った。晩年は村でも勝利の祝福の様子が上位10人分だけ映像記録として残ることになったので、ただの名誉のためとはいえ10位になるか11位になるかという争いは村中の注目を集める一大イベントであった。

私が本格的に競技会に出ようと思ったのは村に住み始めてから3カ月ほどで開催された年に1度のお祭りの時である。いつもは競技会のたびに勝利の祝福の役は看板娘のうち誰か1人が選ばれるのだが、村の設立1周年を記念して看板娘37人で盛大にお祝いをすることとなった。競技会命の男たちとってもそんな大きな催しを見逃すことなどできるはずもなく、みな大いに奮起した。
入賞者の数もいつもの1200人ではなく、皆の頑張りに応じて決めましょうということになった。37人の娘たちそれぞれに入賞を割り当てることになり、最終的には79人だったと記憶している。看板娘たちの歌と踊りへの感動からいつしか感動イベントと呼ばれるようになったこの催しは、翌年以降も村で年に1回行われる豪華な競技会として恒例となり、 現在も周年イベントと名前と形を少し変えて続いている。
いつもは1200枚以上配られるカードが79枚しか配られなかったのだから、その価値の高騰ぶりは半端なかった。通常競技会にでるためにはカード9枚を1揃えにするのだが周年イベントの報酬のカードを複数枚デッキに組み込んでいるものはまさに羨望の対象であった。村にきてから半年もたってない私は1枚手に入れるので精いっぱいだった。それでもその時の全力を出して手に入れたカードは最後まで手放すことのない私の宝物であった。

競技会とバザーが村の生活の中心であったが年に1~2回、村の看板娘たちによる歌と踊りの宴が開催される。そこでは宴の最後に次の年の村の方針が示される。村の設立から2年目や3年目は競技会の規模も大きくなり、宴もどんどん豪華になっていった。当然村には活気があふれ、人も物もたくさん飛び交っていた。
最初は村でも自分の住む集落の住人としか顔見知りでなかったが、競技会に参加してよい成績を収めているうちに知り合いも増えた。宴の際には別の集落の者と酒を酌み交わす頻度も増えていき、知り合いはさらに増えた。
そんな生活が楽しく、私は競技会での成績を向上させるためにいろいろと研鑽を積んだ。
前には達成できなかった目標に手が届くようになる。このころは本当に充実していた。

しかし人間というのは残酷なものである。最初は競技会やバザーをあれほど楽しんでいたのに、似たような催しが続いてくると飽きてくる。少し他の村の様子を見てくるといって遊びに行くものはまだいい方である。だんだんと遊びに行ったまま帰ってこなくなるものが多くなってきた。おそらく他の村で魅力的なものに出会い、そちらの村に定住したのであろう。それでも村に残った者たちは競技会に明け暮れて十分楽しい毎日を過ごしていた。

潮目が変わったと私が感じたのはいつだろう。はっきりこの時、というのは難しいがおそらく4年目に入る頃である。3年目の宴の最後にバザーの改革を行うという話が出た。今まではバザーではカードは自由取引がメインであったが、一部取引禁止のカードが出て村に直接納税しないと手に入らない類のカードが出てくるようになった。実際にはそれまでとそんなに変わらない環境で競技会を戦うこともできたのだが、その納税の手続きが必要以上に煩雑だったこともあり村から去る者が一気に増えた。また、せっかく村に興味を持ったものが定住する割合も大きく下がった印象があった。そうして村からは日に日に人が減った。私は村の人たちや雰囲気が大好きであったのでとても悲しかったが、ただの村民にできることなどほとんどなく、その分頑張って競技会に精を出した。村の仲間たちと死にそうになりながら協力して競技会で初めての1位をとったのもこの頃で、村は大変な時期であったが今となってはいい思い出である。

村長は村の将来についてどう考えているんだろう…村に住む者たちはおそらくみんなそう思っていた。
隣の村は巨大な宣伝広告アニメを作って人を増やしたという話を聞いたがうちの村の規模ではそんなものはできそうにもない。
ただ人が減ったといっても村には最盛期の半分ほどの1万5千人くらいは残っていて競技会は問題なく行えるし、バザーも制度の変更もあって以前ほどの流動性はないけど十分機能していた。しかしやっぱり人が減っていくことで競技会の上位には同じ顔触れが並ぶことも多かったし、村の雰囲気の悪さはみながなんとなく感じていたと私は思う。

3年目の宴で発表されたのは実はバザーの改革だけではなかった。村の看板娘たちがあこがれ続けた聖地で4年目の宴を開催するというのも同時に予告されていた。発表当時は村の発展とともに勢いを増した娘たちが聖地で可憐に踊って歌うのを想像していたが、いざ開催直前の現実を見ているとこの宴が終わったら村の解散が発表されるんじゃないか…なんていう噂も飛び交った。実際には宴で村の終焉について触れることはなかったが、例年宴の最後恒例の次の年の方針のようなものはほとんど示されなかった。さらに次の宴の開催場所や時期について触れられることもなかった…3年目の時は1年後に聖地で宴を盛大に開催するといったのに、である。
しかしここでまさかの出来事があった。村の主要機能を移し替えて交通の便の良いところに町を作る計画が発表されたのだ。
我々は大いに混乱した。村はどうなるのか…?と。設備の古い村を発展解消させて町にするという話は他にもいくらかであったみたいで、実際に村と町が共存している例もないわけではなかった。
しかし多くの場合はやはり人は新しい方へと流れていく。我々の村は…?とみな不安で仕方がなかった。

果たしてこんな雰囲気で我々は5年目を迎えられるのであろうか、と宴の後の酒場で思い思いに話していたのを今でも思い出す。競技会も創意工夫を凝らしたものから、なんとなくどこかで見たことあるような趣向のものが増えた。村で新規に発行するカードの種類も徐々に減っていった。その代わりといっては何だが、新しく作られた町は設備も最新式で大変に盛況であった。我々も時折町の様子を見に行くが、住み慣れた村の方がやはり居心地はよかったので村にいつつたまに町の様子を見に行くような村民が多かったと記憶している。
こんな日がしばらくは続くのかな…と半年ほど過ごしたある日の出来事だった。

それは10月の終わりに突然やってきた。村長から村をダムに沈めることが決定した、と。
私はちょうどその時、件の町の競技会に出てみたところであった。まだ出来たばかりの町では競技に慣れているものも多くなかったので1桁の好順位も狙えるようなところにいたが、村の一報を受け取り競技会は棄権しすぐに村に戻った。
村ではみんなが悲しみに暮れていた。正直、みんな頭の片隅で村の規模を縮小するくらいのことは考えていた。徐々に人が減ってきて新しい町もできたしちょっとずつ村でやることを減らしてして人も徐々に移住していくのだろう、となんとなくは身構えていた。しかし我々の予想を大きく上回る速度で村の消失が決定してしまった。いずれ消えることを予感していたからか、そこに怒りはない。それでも残された時間が短すぎて心の整理がつかなかったのだ。
その日、私は村の顔なじみたちと朝まで酒を飲み続けた。みな翌日も仕事なのに朝までずっと泣きながら飲んでいた。村の思い出話に花を咲かせるわけでもなく、なんとなくぼーっと、時折誰かが口を開いてはみんなで泣く。別になにか話したいことがあって集まったわけではない。ただただ突然のことにみんな悲しく、そして一人でいるのが不安だったのだ。

なぜあのタイミングで村がダムに沈むことになったのかは誰にもわからない。みんなで泣きながら目を腫らして考えたなかでは、まだ村に人はいるけど村と町に人が分かれるよりも集中させた方が町が発展するとか、村を残すための維持費を考えると効率が悪いからダムに沈めて維持費がかからなくなるようにするとかいった話が出たが定かではない。村長は多くを語らずにみなに感謝の言葉だけを残して去ったのでその理由がわかる日は永遠に来ない。

村はダムに沈むことが発表されてから、しばらくはどこか現実感のない日が続いた。しかしそうこうしているうちにも日々はすぎていく。私たちも遠くないうちに住み慣れた村から離れなければいけない日が来てしまう。それぞれ今後のことを考えながらも長年親しんだ村に感謝の気持ちを持つうちに、だんだん村の雰囲気もあと少ししか村で思い出を作ることはできないんだから最後まで笑顔で過ごしたいという気持ちが広がっていたような気がする。
そして村がダムに沈む約1か月前、村は創立5周年を迎えた。

村の掲示板には村の運営者たちからのこんな言葉が張り出された。

そして村がダムに沈む日を迎えた。3月19日、よく晴れた天気のいい日であった。皆それぞれに仕事はあったが休みを取って村の最後の姿を見に来た。正午12時、村がダムに沈んでいくのをみんなで見守った。あるものは感謝の言葉をかみしめながら、あるものは無言で涙しながら…ただ一つ同じであったのは村の姿をこの目に焼き付けようと必死であった。
その日の夜、昼間に仕事を休めなかった顔なじみの村人たちと一緒に酒を浴びるように飲んだ。実際浴びすぎて記憶をなくした。ついでに翌日目が覚めた時には見知らぬ天井であった。その日も仕事しているはずだがどうなったのか定かではない。

これが村ができて1847日目の出来事である。

そこからはいろんなことがあった。村の人たちの大半は町にも出入りしていたので町に移住する人が多数派であったのは間違いない。しかし似ている雰囲気ではあるといってもそこは別の場所。どこかなじめずにいつのまにか顔なじみがいなくなる、なんてことも一度や二度ではなかった。また、村がなくなったタイミングでこの地を離れて遠くに旅立ったものもそれなりにいた。村が好きだっただけで未練はない、と新天地を求めて次の一歩を進む者たちを私たちは笑顔で見送った。送り出して姿が見えなくなると、また寂しくなるね…ってよく上を向きながら帰ったものである。

そんな中、私は町に移り住んだ。町にはたくさんの人がいたがみな忙しなく、若き町長は町を少しでも良くしようと必死に動き回っている。それを見たからかもしれない。看板娘たちがほぼそのまま村から町に移り住んだことも大きかった。村では年に1度歌って踊るくらいだった彼女たちが町の最新設備で歌って踊る姿が私に次の一歩を踏み出させてくれたのは言うまでもない。

私が村にやってきたあの日、知り合いは誰もいなかった。でも周りの人たちは見ず知らずの私にたくさん手助けをしてくれた。そして今の私がある。周りにみんながいたから私は楽しく過ごせたのである。
新しくできた町にはたくさんの人が遊びに来る。そんな人がここを気に入って住もうか悩んでるときにちょっとでも手助けができるように、きっと村で培ってきた経験と知識が役に立つことがあるだろう。そして新しく来た人たちの不安が減って少しでも楽しく過ごせるように、あの時はきっと何にもできなかった私だけど今度は小さなことでもいいから自分にできることを何かやってみよう。きっとそしたらまた楽しい日々が来るに違いない。そうして私は5年の月日を過ごしてきた。時には大きな間違えをおかすこともあったし、他の町民と衝突することもあった。それでも割と真剣に町のことを考えてきたと自分でも思う。
その甲斐もあってか今の私の周りにはたくさんの仲間がいる。村の頃から一緒だった者もいれば、村のことは知らず町になってから移り住んできて仲良くなった者もいる。どちらかといえば、いつのまにか町のことしか知らない住人の方が多くなったように感じる。

村のことを知らない人が増えたのを嘆く人もいるかもしれない。私は村のことなんて何も知らずに町での生活を楽しんでいる人々を見ると、これが自然であるべき姿なんだと思うようになってきている。いつまでも過去に引きずられるのではなく、前を向いて進んでいく、とてもいいことだ。

じゃあなんで村の話なんてしたか、だって?今日くらいはいいじゃないか。1847日頑張ってきたんだ。たまには私の愛した村の話をして1848日目に進んでいく。村よりも長い歴史を刻んでいくこの町がこれからどうなるのかを見守る、その決意みたいなもんだと思ってくれればいい。長々と語ってしまってすまなかった。あんたが村の住人だったのかどうかは知らないが、今日がそういう日なんだって知ってくれただけでも私はうれしいよ。

村がダムに沈んで5年たった” に対して2件のコメントがあります。

  1. まつ より:

    最近ミリオンライブ!の映画観て大変良かったので、興味が出てここにたどり着きました。
    以前お住まいだった村の話、大変面白かったです。

    1. gasu_y より:

      コメントありがとうございます。アニメでミリオンライブ!に興味をもった方にとってはこんな人たちもいたんだな~って楽しんでいただけたなら幸いです。

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