ミリアニと出番格差

センシティブな話題になりますので表現には気を付けたつもりですが、それでも不快に感じる方もいらっしゃると思いますのでそういうのが嫌いな人はページを閉じることを推奨します。

出番格差について

アニメ内での出番の格差があったかどうか、といわれたら確実にあったと思います。
この物語の中心である信号機の3人(未来・静香・翼)や途中加入の新アイドルとして印象的な立場にいる紬と歌織なんかはかなりの話数で出演していましたし、その話の核であることも少なくありませんでした。
これに関しては1本の軸になる物語(原っぱライブ→静香と父親の関係)を作ったうえで各アイドルの魅力を伝えていくという脚本構成ですのである意味当然だと思いますし、過去にはゲッサンなどもあるので信号機の出演が多いのは割と私たちにとっても受け入れやすいものだったと思います。
また、紬と歌織に関しては明確には触れられていませんが「手作りのぶどーかんからシアターへ」つまり「グリマスからミリシタへ」という構図を意図しているために他の37人とは違う立ち位置を与えられているのでアニメ内での役割も自然と多くなったのでしょう。
彼女たちTeam8thのメンバーはまさにこのアニメにおいて主演級の扱いで、それぞれ大きな印象に残る場面が他のアイドル達よりも頭一つ以上ぬけて多かったことは異論はないかと思います。

出番の多かったアイドル

それ以外のアイドルについてはそれぞれ印象に残るシーンやスチル(止絵)があるようにはなっていますが出番の大小・多寡は存在していると思います。
例えば
前半でシアターの案内をしてから要所要所で一歩引いたところから見えるお姉さんとしての役回りを期待されたうえでTeam6thのセンターでありこけら落とし公演でもソロパートをもらっていたまつり
6話で未来&紬、翼&歌織となったときに静香のペアになってそのあとも静香と対比的なポジションにいることで静香の心情や行動をより印象的なものにする役割を持った志保
この辺は多くの人の目から見て優遇されている印象があったアイドルだと思います。

少し話が変わりますが、今回のミリアニでミリオン歴が長い人たちがなぜ高評価しているのかについて話し合って思ったことがあります。当然待望のアニメであることや脚本・構成や新曲の良さなどもあると思いますが、個人的に強く感じたのは人によっては10年以上もそのアイドルのことを見続けているわけですが、その人たちが「うちのアイドルはこんなこと言わない・しない」という意見が極めて少なかったことです。(全くないわけではありません)
解釈の一致というのは簡単ですが、10年の歴史を持つ既存のアイドルたちをベースに新たな物語を作り上げている以上、いままでになかった場面・選択肢が出現するわけで、そこで「アイドルごとにずっと見続けてきた担当Pたちが思ううちのアイドルがやりそうな言動」を描くのは簡単なことでありません。ミリオン歴が長い人ほどそういう違和感には敏感ですし、ひとたび違和感が生じればそこがきになって物語どころではなくなってしまいます。
そういったアイドル”らしさ”を12話という制約がある中で短いシーンで表現するのは大変だと思いますがミリアニはそういうものが随所に詰め込まれていたと私は思っています。
例として4話で原っぱライブを未来が提案した後にいろいろ破綻が出てきたあとのシーン、ここでは桃子が「やりたくない」と否定派の急先鋒でした。これは未来の意見に対する否定派ではありますが、状況を鑑みると至極正論をいっている意見ともいえます。状況を正しく理解して正論をいうだけであればたとえば琴葉でもいいのかもしれませんが、場の意識を持っていくためにも強い否定の言葉を放つ必要があるので「未来ちゃん、それは違うんじゃないかな」と建設的な立場が多い琴葉にやらせると少なくとも私は違和感を覚えます。このシーンでこういうこと言いそうだな~と私が思うアイドルだと静香、志保、桃子、紬あたりでしょうか。この中では静香はシアターに入ったばかりでしかも未来側にいて、紬はまだアイドルになっていないので当然除外。志保は否定派の立場にいてもおかしくはありませんが、(おそらく輝きの向こう側へ内で同じようなことを経験していることから)桃子よりも少し精神的に進んだ立場にいて即座に否定派にはなりはしないものの、桃子の言っていることももっともだと桃子が孤立しないように同意をする役回りでした。だからあのシーンは桃子があの発言をすることがもっとも”らしい”んだと思います。
どういう風にお話が作られたのかはわかりませんが、それぞれの”らしさ”を発揮するとともにどっちにでも転びそうだなというアイドルの配置は違和感につながるのでできるだけ避けたのではないかと個人的におもっていて、その結果として”らしさ”が比較的描きやすい(=動かしやすい)まつりや志保の出番が増えたのではないかと考えています。

出番が少なかったアイドル

一方でどうしても出番が少なく感じたアイドルがいることも確かです。第3幕までみた感想としてはTeam5th・6th:7thが物語の構成上見せ場が少なめで、その中でも特に美也・エミリー・歩はそのアイドルとして個性的なシーンも相対的に考えると少なかった印象が個人的にはあります。動いているシーンで少なかったアイドルは後から振り返ってみると例えば原っぱライブのシーンで歩はダンス、エミリーは茶道のスチルが作られていたり、美也はこけら落とし公演のラストで小さな男の子とのカットがあったりと動いているシーンが少なかったアイドルにはその分止まっている部分で露出があるなどの調整をしていたように思います。
また、歌唱面ではTeam7thのメンバーはジュリアの弾き語りになったこともあり他のメンバーの歌唱がないことも気になりました。あのシーンはこけら落とし前の劇場で合宿をしながら客席でカレーを食べている未来ちゃんが「キャンプみたい」ということ、みんなでカレーを食べていること、ジュリアの弾き語り…これらから思い浮かぶのはやはりコロナ禍で中止になった7thのリベンジ公演7thReburn(キャンプがテーマ)を意識した演出なのはわかりましたが、それでも他のアイドルたちと異なりその3人がTeam曲を歌っていないというのは事実として残ったような感じはしました。
パンフレットでも監督が「39人全員で」ということを強調しているようにできるだけそれぞれのアイドルの見せ場が作られるようにということは意識していたと思いますし、12話の中でメインストーリーを進行させる必要もあった中で非常に多くのアイドルが物語の本線を邪魔しない程度に出てきたという印象はあります。
パンフレットを読むと監督がミリオンライブ!のことをよく考えてくれていることは伝わります。そんな愛を持って接してくれたプロである監督が出番の偏りを考えていないなんとことはまず間違いなくないでしょう。きっといろんなストーリーや構成を考えたうえで一番物語としてよくなるものにそれぞれのアイドルの出番を落とし込んだのが今回のアニメなのだと私は思っています。おそらく今回のストーリーにたまたま上手く見せ場を作る機会が少なかったアイドルが何人かできてしまった、ただそれだけのことで他のストーリーラインだったら出番が少なく感じるアイドルも別の子になったのだと私は思っています。
ミリオンライブ!のことをよく知る監督が愛を持って作ってくれた作品、12話という時間的な制約、メインストーリーとそれぞれのアイドルの出番のバランス。こういった事情を考えると担当の出番が少なかったのは仕方ない、そしてミリオンライブ!のことが好きだから自分の担当の活躍があまり見れなかったとしてもある程度満足している、TLがみんなアニメのことをほめている雰囲気を壊したくない…きっと出番が少なかったアイドルのプロデューサー(あるいはファン)の中にはこのように思っている人も少なくないのではないと思います。
まだ本放送での変更点やBDパッケージに収録される映像などもありますし、舞台挨拶や各種メディアで監督の言葉も出てくることを考えると出番が少なかったことに対して強い感情を示すのには少し早いのかもしれませんが、今回のアニメをみて自分の担当アイドルの出番が少ないと感じたその気持ちは本物だと思いますし、それは他人の言葉を受けて簡単に納得するようなものではないと私は考えています。
真剣だからこそ何か心に感情が生まれる。それをどうするかはあなた次第だと思います。
アニメを見た呪いの言葉としてSNSで発するのも一つの手段ですしそれを私に止める権利など当然ありません。
しかし一方でそういった強い感情から文章やイラスト、例えば1枚のスライド資料でも構いませんが、今回出番の少なかったアイドルについても知ってもらおうとするのもまた手段の一つです。

最後に

明日からアニメが始まります。出番の多かったアイドルだってメイン級の5人に比べるとよく知らない人から見たらほとんど誤差みたいなものではないでしょうか。そういった真っ白な人たちに自分の担当アイドルをどう見てもらうか、自分の担当アイドルを好きになった時の気持ちを思い出してみるのも面白いんじゃないかな、と考えています。
結局何が言いたかったのか、といわれると私は担当のことを一人でも多くの人に知ってほしいという気持ちとともに少しでも多くの人にミリオンライブ!が届いてほしいと考えています。
長文になってしまいましたが、なにか少しでももやもやした感情を抱えている人の参考になれば、と思ってこの文章を書きました。
きっとミリオンライブ!10年目にして最大のチャンス、悔いは残らないように動きましょう。

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